俺は愛する事を知らない。
今まで、誰かに恋愛感情というやつに惹かれる事は無かった。
物に執着する事も無い。
冷酷非道。
俺の為に存在するような言葉。
だが、それがどうした。そんな事はどうでも良い。
生きていく上で必要性など感じない。むしろ邪魔なだけだ。
しかし。
伊藤啓太。
コイツが転校して来てから、全てが変わった。
コイツを見てから、言い様のない、不可解な感情が溢れ出て来た。
何をされたわけでもない。ただ普通に話をしただけだ。
オカシイとは思ったが、人にペースを乱されるのは釈然とせず不快。
原因を探る事自体、踊らされているようで。
だから、放って置こうと決めた。
そのはずだったのだが。
人に囲まれて笑っているアイツを見てしまったら、いてもたってもいられなくなった。
そして、無償に腹立たしくなっていた。
その時、遅まきながら気づいた。
既にソイツに振り回されていることに。
オカシイ。
自分は何故ここまでコイツに拘るのか。
知りもしない感情を目の前に突き出され。
知りもしない感情に振り回され。
訳も分からず巻き込まれ。
しかし、腹立たしいのは。
こんなにも自分を乱されているのに、「それでもいいか」と譲歩してしまう事。
アイツが傍に居るなら、「それぐらいいいか」と少しでも考えてしまう事。
オカシイ。
こんな予定は無かった。
けれど、此処に。
ここまで考えても不快に思わない自分が居る。
まったく呆れてしまう。以前の俺は何処にいったのか。
いつものように。
月明かりに照らされたベットの上で、
「 啓太 」
と、隣で寝ている相手の名前を呟いてみれば。
コイツは寝ている筈なのに、幸せそうに微笑む。
それに満足する自分をオカシイと思う俺が居る。
しかしそれと同時に。幸せを感じる俺も居る。
こんな事を考えている事態、十分コイツに参っている。
もうこれ以上考えても、堂々巡りにしかならないだろう。
結局。
どう足掻こうが、オカシイ事には変わらない。
俺をオカシクしたのはお前だ、啓太。
その代償を、一生を懸けて償わせてやる。
愛という感情を、お前は欲しているのだろう?
だが、生憎だな。
愛という生易しい言葉では括れないほどの感情を、お前は俺から引きずり出した。
あと数時間したら、コイツを起こして呟いてやろう。
――ずっと お前を逃がさないからな――
貴方のせいです 泣くようになったのは
今までは 滅多なことじゃ涙を流さなかったのに
貴方に触れるようになってから 直ぐ涙が溢れてしまう
そのことに 貴方は気づいてますか
ふと、目が覚めた。
月の光がベットを照らしている。今、この部屋にはその明かりしかない。けれど、十分に明るかった。
俺を抱いている中嶋さんの寝顔は、とても綺麗だった。月明かりにもよく映えている。
いつも意地悪で、なかなか自分のことを明かしてくれないこの中嶋さんに、俺は戸惑う事が多い。そして時々、自分さえ見失ってしまう。
そんな時、よく考える事がある。
―― 俺は中嶋さんの何なんだろう? ――
中嶋さんは頭も冴えているし、かっこいい。無敵といっても過言じゃないような気がする。
けれど、俺は何も取り柄がなくて。運が良いというだけでここに居る。
中嶋さんには不釣合いな俺が此処にいる。
そう思ってしまう。そんな時、中嶋さんは何も言わずに抱きしめてくれる。中嶋さんには言ったことは無いけれど、多分分かっているんじゃないかな。俺は嘘が下手だから。中嶋さんの嘘は完璧なのに。
―― 俺、此処にいても良いのかな? ――
とても好きで、俺にとっても掛け替えのない人だけど、中嶋さんの荷物にはなりたくない。
この腕の中は居心地良い。
中嶋さんの体温は体中が騒ぐけど、安心出来る。
声は耳に気持ちよく響く。
―― 俺は貴方に何か返せていますか? ――
そんな事を考えていると、中嶋さんの顔がどんどんぼやけてきた。
また泣いてる俺がいる。どうしてこんなにも泣き虫で女々しいのか。自分でも呆れてしまう。中嶋さんも辟易してるのかな。
溢れた涙をシーツで拭った。
「啓太」
いきなり声が響いて驚いた。そして、その声色が怒りを含んでいることにも。俺、何かしただろうか?
「また泣いているのか?」
また、という言葉が痛くて。余計に涙が出る。どうして止まってくれないのかな。こんなにも迷惑かけているのに。
「何故泣く」
ため息交じりで言われ、ジクリと痛む。
「……」
「話してみろ」
促すように、髪を優しく梳いてくれる。
「俺は、こ、んな…だけど」
声が上ずって途切れ途切れになっている。馬鹿だな俺。
「昔は、こんなに…泣き虫じゃ、無かったんで…すよ?滅多に、泣かなかった…んですよ」
「そうか」
そう言いながらも、髪を梳いてくれる手はとても優しい。言っても良いのかな?
「だけど、……中嶋さんと会ってから、弱くなったんです。自分では今まで強い方だと思っていたのに」
中嶋さんの手に、心が落ち着いてきたのか、声の震えは止まっていた。
「中嶋さんは、俺には勿体無いって。どうして俺なんかが此処にいるんだろうって、そう思うようになって。……馬鹿ですよね、俺」
何を言ったら良いのか分からない。どんな風に言えば伝わるのか分からない。
上ずって、不安定で、自分でも持て余す。
そんな気持ちは今まで感じた事もなかったから、どうすれば良いのかも分からない。
中嶋さんがため息をついた。
「お前はそんなことを考えていたのか。そこまで馬鹿だと思わなかった」
「ごめんなさい、中嶋さん」
謝罪の言葉しか浮かんでこない。
中嶋さんは抱きしめる力を強くして話し始めた。
「今まで、俺はこんな風に抱きしめた事はない。抱きしめようと思ったことも無い。性欲処理にしか考えなかったから、必要性を感じなかった。だが、お前は別だ。……こんなに言ってやってるのに、お前はまだ分からないのか」
そんな風に言われて、俺は嬉しかった。中嶋さんの言葉が心に染みる。
「中嶋さん…」
滅多に聞けない甘い言葉に、とても嬉しくて。そしてとても幸せで。顔が火照ってしまった。
中嶋さんは反対に渋い顔になった。
「……こんなこと、言うつもりは無かったんだがな」
そうだ。滅多に見せてくれない本心。中嶋さんは不本意極まりなかったのかも。でも、俺にとってはこの上なく大切なものだから、とても嬉しかった。この事は、いつまで経っても忘れることは無いと思う。
「ありがとうございます、中嶋さん」
腕を回してしがみついた。中嶋さんの体温は少し低くて、だけどとても安心できるもの。そう思ったらまた涙。どうしてこんなに泣けるものなのか、自分でも不思議でならない。
「よく泣くな。本当に昔は泣かなかったのか?」
「ホントですよ」
「なら何故泣く?」
「……解りません。ただ、中嶋さんだから」
そう素直に答えると、中嶋さんはいつものように、唇の端を少し上げて笑った。その笑い方はとてもサマになっている。
「なら、いつまでも泣かせてやるよ」
顎を捕らえられ、唇を重ねる。
月光は静かに輝くも、冷たくも優しく照らしていた。
弱く愚かな存在を 貴方は認めてくれますか?
何が返せるかは分かりません
荷物になってしまうかもしれません
けれど 貴方の為になら
何だって 出来る自信があるんです
この不安定な 言い様の無い気持ちを抱えて